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日記49

1/1
2017年の抱負は!ダイエット!創作!整理整頓!仕事!健康!リハビリ!などと考えていたら、あっという間に具合が悪くなった。エネルギーの総量より大きなものを抱えて負おうとするからそんなことになるんだよ。
今年は、法改正の影響等もあり仕事が忙しくなることが分かりきっているので、必要なこと以外何もしないのを目標にしていきたい。
必要なことはやろう。

1/2
寝正月。

1/3
寝正月。

1/4
寝正月。

1/5
寝正月。
何もしないという目標をいきなり達成しまくったような気がする。長い休暇が終わることを惜しみながらビールを飲み過ぎて、頭が痛くなった。

1/6
年始初出勤。
分かりきっていたけれど全くエンジンがかからなかったよね。

1/7
だらだら。
テレビで「アントマン」という映画を見た。まぁまぁだった。伸縮自在のヒーローが戦う映像の凄さはあったけれど。あとmarvelの作品毎の世界観がクロスオーバーする感じになかなか慣れないや。ワンピースの世界にドラゴンボール孫悟空飛んできたら困らない?って思っちゃう。

1/8
夜に会社の同期の家で、3人で鍋をつついた。新築の綺麗なマンション。会社の同期らは有能で気が効くので、それが嬉しくも誇らしくもあり、0.8mmくらいの劣等感もある。でも良い方向に向かって頑張っていこうという思いは3人とも一緒だ。年相応に結婚の話なども出た。

雨が降っていたので、先日購入した折り畳み傘を使ってみた。ボタン式で、腕をくぐらせる輪があり、頑丈で、持ちやすいものを選んだ。
片手が傘で塞がるので、必然的に使える杖は1本になり、歩く速さが半減したけど、それでもレインコートよりは人間らしい感じになった。自分で傘を差して外出できたのは1年ぶりくらいだ。実に。

心を整えて次の朝へ。次の夜へ。

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日記48

12/29
東京へ。
高円寺で昼間から安酒を飲むために、新幹線で向かう。贅沢なのか何なのかよく分からない(贅沢だ)
佐々木と工藤ちゃんと一緒に高円寺「あげもんや」で揚げ物を食べた。ぼくはハイボールと揚げ物のセットを頼んだけど、この店は唐揚げ定食の唐揚げが食べ放題らしい。ジューシーでビッグサイズの妥協なき唐揚げをたらふく食べたいならぜひ。
ゲストは工藤ちゃんから替わり、店を変えて駅前の「福来門」で延々ビールとレモンサワーを飲み、話した。思い出そうにも、全然内容のある話をしていない。楽しかったなーというふわっとした感情のかたまりだけが、ぽやっと頭の中に残っている。
さらにサイゼリヤを経由して、佐々木の家に泊めてもらった。

12/30
混濁する記憶がダクトを通り抜けてドブと一緒に海へ捨てられていく。何年前だっけ。住所不定無職のアルバムに入っていた「高円寺の渚ちゃん」という曲を何度も何度も聴き続けていた頃だ。文学部社会学科、プレシジョンベース、瀬戸内海、フランス・ギャルのベストアルバム、紹興酒ユースホステル横浜トリエンナーレ、パーソナリティ障害…キーワードだけが、切れかけのネオンサインと化して明滅する。脳内の廃れた繁華街にて。いま手元に残っている教訓といえば「結局、人と人には、相性がある」という紙切れ一枚にも余りそうな標語でしかない。僕にとってのさっちゃんとは、そういう人だった。思い出したけど、思い出話はしない。

それとは全然関係ないけれど、今日は、1からやり直していくような気持ちで、今後も関係を構築していこうということを、彼女と話し合った日でもあった。

もし自分が、独立した完全で完璧な人間ではないという自覚があるなら、「ぼくを探しに」という絵本を読むと良い。もし自分が、独立した完全で完璧な人間だという自覚があるのなら、傲慢なので豆腐の角に頭をぶつけて猛省した方が良い。

12/31
大晦日。大晦日も新年も、皆に等しく訪れるところが良い。クリスマスを祝うのはキリスト教、除夜の鐘は仏教、初日の出を拝むのはアニミズム、初詣は神道なのに、無宗教だと言い張る不思議な日本人の皆様。今年もお世話になりました。なんて毒づいてはばちが当たるほど、周囲の人に助けられて生活している。深謝しなければ。深謝。多謝。ありがとうございます。まじで関わりのある人全員それ。まじ。

さて、しっかり現実に根ざさないと。
maison book girlと大森さんの年越しライブ「ハイパーカウントダウン」に行った。美しかった。久しぶりに、ライブハウスでまともにライブが見れたので嬉しかった。嬉しくて齧りついて見ていたらあっという間に終わってしまった…。
なので、あっという間に2017年になった。

あけましておめでとう!

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日記47

12/25
昨日とは打って変わって静かな一日。
祖母、義姉、姪、みんな熱を出した。
はしゃぎすぎだよ。

12/26
引き続き休日。
自分の趣味のための調べ物をして、疲れて昼寝して、起きてまた調べて、その結果の連絡を入れたり。ぼさぼさの髪で家も出ずに作業をしていたけど、それなりに有意義な気持ちになる。

SMAP解散。

12/27
仕事納め。

12/28
仕事は納まったけど、緊急連絡が入るかもしれないので社用電話をテーブルに置きながら家でダラダラしていた。

小旅行の計画を立てながら。
https://youtu.be/KTxqLz6URFo


予定をこねくり回して、必要なものや、必要なことのリストを作る。
結局、やりたいことってなんだっけ?
幸せになるために一緒に生きたい人がとっくに死んでいた場合(比喩ね)、それからはどうやって暮らせばいいんだろうか。

窓の外、南東の方角に、時々、細長く白い煙が昇っているのが見える。火葬場の煙だ。それを見ると、いつも左手小指の付け根あたりの、6本目の指を手術で除去した小さな跡が痛む。白い煙と消えた指。そんな妄想。目に見えないものが見える力が欲しい。

あるいは、僕は自分の人生に期待し過ぎているのかもしれない。
ただ暮らすということをもっと受け入れるべきなのだろうか。生きていればまるもうけ、なんて言葉もあるし。

まだまだ日々は続く。
好むと好まざるとに関わらず。

飽きたとしても終わらない映画なら、穿った見方で耽っていくしかない。

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日記46

12/19
午前中はなんだか虚脱感があってぼんやりしていたけれど、午後は仕事の波が押し寄せてきて、かなり遅くまで残業をすることになった。積み残した仕事をとりあえず整理して、帰る準備を始める。

頭の中を去来する人の顔に、ひとつずつ感情のラベルをつけていく。好き、嫌い、会いたくない、もう会えない、あんまり知らない、いい人、怖い、好き、嫌い、好き。それをホルマリン漬けにして、棚に並べていく。

という妄想をしながら、資料の印刷が終わるのを待っていた。

12/20
虚脱感がまだ抜けないので、深く息を吸って、長く息を吐きながら仕事をした。終業までちゃんとデスクに居たので最低限やるべき事はやったはずだ。自己肯定。

出勤途中、曇り空からぽつりぽつりと雨が落ちてくる中、松葉杖で歩いていると、駅から歩いてきた大学生の集団に追い抜かれた。なんだか、やっと自分の手で(健康を損なうという形で)自分の人生を部分的に破壊したんだなという実感がした。病気になってから1年間、「まっすぐに」とは言えないながらも、回復に向かおうとする気持ちや、復職しようという気持ちはずっとあったのに、ふと、結局のところその目標はなんだったんだっけと思って、立ち止まってしまったみたいだ。

病気を治そうとする目標というのは、結局生きる目標とは何かという話になってしまう。宇宙だ。こんなことを考えていたら息が詰まって死ぬ。熱くなった頭を喉から冷ます方法を採用して、カロリーオフの発泡酒を2缶飲む。倒れ込むように眠る。夜中に目が覚めて眠れなくなる。

12/21
今日も深呼吸をしながら仕事。
夜は忘年会。飲み過ぎた。

12/22
仕事。
統御、統御。

12/23
静養。
左足の腫れは引いたみたいだけど、結局右足よりほんの少し大きく、少し赤っぽい色をしている。どうしたものか。

村上春樹著「職業としての小説家」を読み終えた。確かにどんな仕事にもフィジカルは大事だよね、と思った。

12/24
夕方から家族総出でクリスマスパーティーをした。これまでそんな事はしたことがないのだけど、母が、孫(つまり僕の甥)がだんだん物事の分かる年になってきたので、張りきっているのだ。あまりにも勢いづき過ぎていて、毎年この勢いなら欠席するからな!という気持ちにちょっとなったけど、まあ楽しかった。

兄が酔って、僕にギターであれを弾け、これを弾けと言っては合唱するので、まるで昭和のフォーク全盛期のようなノリだった。でもまあ、楽しかった。祖母も嬉しそうだったし。メリークリスマス。

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‪「大森靖子が「絶対女の子がいいな」って言ったから」っていうだけの理由で3年くらいネカマやってた。900人くらいフォロワーがいた。‬

2013年頃、大森靖子という弾き語りのアーティストにハマった。

熱狂的にハマってしまい、Twitterの自分のアカウントの発言が大森靖子色に染まっていくにつれて、いわゆるリア友に疎ましく思われ始めたので、これはいけないと思い、大森靖子専用のアカウントを作ることにした。別アカウントを作るのは初めてだった。

その頃、大森さんはライブで「絶対彼女」という曲を歌い始めていた。
サビで「絶対女の子がいいな」という歌詞を何度も繰り返す曲なのに、その頃の大森さんのライブに通う人は、アイドルが好きそうな感じの男性が多い印象だった。
僕は、少しでも大森さんの理想の世界に近づいた方がいいよなと思って、気軽な気持ちでそのアカウントを「女の子として」始めることにした。率直に言えばネカマだ。

しかし、これは言い訳だけど、当時僕は自分自身のジェンダーに少し違和感があった。性的指向ヘテロだが、自分自身を100%の男性だとは思えなかった。
自分の中身は3割くらいは女性的だと思う、と友人に話すと、ワタナベくんは4割くらいじゃない?と返される、そんな調子だった。

アカウント名は、自分が一番好きな女性芸能人だった宮崎あおいから拝借した。
以下、仮に「あおいちゃん」と呼ぶ。

***

あおいちゃんという化けの皮を被った事で、僕は自分自身の中にある「大森靖子愛」や、大森靖子にまつわる喜怒哀楽を大いに吐き出し、垂れ流すことができた。
当時は、大森靖子に関するツイートが2016年現在ほど多くなかったので、毎日「大森靖子」「靖子ちゃん」でツイート検索をした。プロフィールに大森靖子と書いている人は無差別にフォローして、鍵アカでも躊躇無くフォローリクエストを送りつけた。また、数日間で3回以上大森靖子について発言している事を目安として、それに該当する人もフォローしていった。
大森さんが好きだから、大森さんのことがたくさん書かれるTLを読むのが楽しかったし、自分も好きなだけ大森さんについて書けるのが嬉しかった。

そのような、ある意味ではネタアカウントだった「あおいちゃん」の運用は、数十人の知り合いでフォローしあっていたリア友アカウントとは、どうやら勝手が違うぞということがだんだん分かってきた。

あおいちゃんは、狂人のように、大森靖子への愛の繰り言を、あるいは妄想を、あくまで丁寧な言葉で、しかし暴走列車のように呟き続ける。一方で、ネカマなので、自分の生活については巧妙に言葉を選ぶ。
そのミステリアスさを面白がられたのか、あるいは大量の大森靖子関連フォローのせいか、フォロワーがうなぎのぼりに増えていき、ほとんど経験が無かったリツイートやファボの通知が(小規模ながら)ばんばん来るようになった。

そして、ライブの際には是非会ってみたいというようなリプライやDMが来るようになった。
勿論、それはあおいちゃんを破壊してしまう事になるので出来ない。
あおいちゃんは「絶対女の子がいいな」と大森さんが言ったからこそ始めた、「大森靖子ファンの究極的に理想の女の子」だからだ。あくまで僕が思う理想とはいえ。

なんだか困ったことになってきたぞと思うようになった頃に、おかしな事に「あおいちゃん」に仲間ができた。

一人は近所に住む知り合いの女の子だ。
その子はいつも綺麗なボブヘアにしていて、前髪を気にして触るのが癖だった。
性格的には"強くぶっ飛んだ傾向"があったけれど、その容姿は僕が思い描くあおいちゃんにとても近かった。
時々、自撮りを使わせてくれないか、うまく加工するのでと言うと、いいですよと言ってくれた。こうして、あおいちゃんの外見が作られた。

また、リア友アカウントから引き続き、あおいちゃんを知ってくれている友人が一人いた。僕と同様に大森靖子ファンだったからだ。彼女は「ワタナベが異常なことを始めた」と内心思いながらそれを見守り、時々アドバイスをくれた。

このようにして、あおいちゃんは「心・技・体」とでも言うべき、奇妙な三位一体体制で補強され、その暴走を続けることになった。

暴走はおよそ3年に及んだ。

その間、大森さんは、直接伝えたことがないのにも関わらず、僕の顔とアカウントを一致させて覚えてくれて、何も言わなくてもサインに「あおいちゃんへ」と書いてくれるようになった。
大森さんと密かな共犯関係になったようで、それが嬉しかった。こんな楽しみ方は間違っているよなと思いつつも。

あおいちゃんは、真摯に大森さんへの愛を、僕が吐きたいだけ吐き出し続けてくれた。
一方、人物の特定を避けるために、行ったライブについて言及しなかったり、行ってないライブに行った風を装ったりというような事もあった。

そこまで「僕」に興味がある人はいないとは思ったけれど、大森さんが破竹の勢いでブレイクしていくにつれて、ファンであるあおいちゃんのフォロワーも増えて、最終的には900人に迫る数字になった。これよりもっと多いフォロワーを持つ人は星の数ほどいるけれど、自分の感触としては十分驚異的だったし、少し疲れてしまった。
それに「絶対少女」リリース以降、大森さんの女性ファンは急増し、今や、おっさんの方が少し肩身の狭い思いをしているくらいだった。
つまり「あおいちゃん」はその役目をゆっくり終えようとしていた。

大森さんが戦略の舵を取っているのか、肌感覚で捉えているのか、あるいは直感なのか、僕には分からないけれど、「全ての女子を肯定する」を標榜する「絶対少女」の発売から、メジャーデビュー、そしてそれ以降まで、大森さんに失望させられたことが本当に一度も無い。
むしろその言い方は失礼で、常に最高を更新し続けてくれている。今でも本当に大森さんの音楽が、歌が、というか全てが好きだ。
大森さんが死ぬまで歌い続けることと、僕が死ぬまでその歌を聴き続けることの根比べだとすら思っている。
もはや勝ち負けではないのだ。
だから、理想を追求するあまり「大森靖子のことが一番好きな女の子」というお題目の、「一番」に妙な拘りが出来つつあったあおいちゃんは、なんらかの形をとって、締め括ろうと考えた。

アドバイス担当の友人と話し、彼女はそれならば記念的に冊子を作ろうと提案をしてくれた。あおいちゃんは時々「ツイロンガー」というツイッターの外部サービスを使って、ライブやアルバムの感想を書いていて、友人はそれを好意的に評価してくれていた。(我々はそれを長文芸と呼んでいた。)

また、それとは関係なく、僕が詩を作って時々ブログに書いているのも知っていた。それも合わせて掲載してはどうかと言ってくれた。
その行為は思春期に精神が不安定だった頃から続けていて、みんな死ねクソバカみたいな内容が多かったので、個人的には「みんな死ねのブログ」と呼んでいた。
その、みんな死ね的内容が報われるのなら、それもいいかもしれないなと思って、他者の目に耐えそうな投稿を選別して載せることになった。

また、これを機に、ずっと回避してきた「大森靖子が好き、以外のあおいちゃんとはどんな人物かを描くといいのではないか」という話になり、これが冊子の中心内容ということになった。
これについては、自分が大森さんに出会うまでの経験を、男女を逆転させて書いた。

独白、詩、長文芸。あまりにも業が深い内容で、まるで言葉の地獄みたいだねと話した。

冊子を作って販売します(販売といっても記念品的なものなので、安価で、)とツイッターで宣言してから、販促行為をしようということになった。
あおいちゃんの運用に対して疲れている部分があったので、本当は冊子が出回ったらもうやめようかと思っていたのだけど、せっかくあおいちゃんの言葉を好んで買ってくれた人に対してそれは申し訳ないなと思い、予約購入してくれた人には特典としてパスワード付きブログを読めるように手配した。
ブログの内容は全然決めていなくて、2月22日から5月5日まで毎日続けると072回になるので、どうせオナニー(072-)ブログだからちょうどいいやという事で、72日連続更新ブログが、冊子のおまけということになった。

また、当時流行っていたask.fmで質問を受け付けて、冊子の内容に触れる質問だと「本を買って読んでね!」と回答する、という方法の販促も試みた。
匿名にも関わらず、ほとんどは好意的な内容の質問を送ってきてくれて、嬉しかったし、申し訳ない気持ちにもなった。

あおいちゃんは誰にも、僕ですら、インターネットでしか会えない概念で、僕の中に居た3割の女の子、あるいはインナーチャイルドだった。それが大森さんとの出会いで表出し、癒され、消えようとしていた。僕にはもう性別違和はほとんど無くなっていた。

良くも悪くもきっかけが転がりこんで来たりして、冊子の販売と、ブログへの「引きこもり作戦」は成功した。
冊子は100冊売れた。
インターネットを介して、あおいちゃんの作品をそれだけ買ってくれる人が居たのが嬉しかったし、同じだけ胸が痛んだ。突然ツイッターの投稿を止めたので多くの人に心配をかけた。申し訳なかった。

その後は、ツイッターの「あおいちゃん」というアカウントに注ぎ込んでいた脳の回路を、今度は数ヶ月、毎日連続でブログの記事に注ぎ込むことになった。
あくまで冊子のオマケなので、他愛もない内容を毎日ほんの少し書くだけだったけど、それでも書きたい内容が枯渇していった。

それで、もう本当に明日書くことも無いぞという時に、大森さんとあおいちゃんの話を書こうと、ふと、思いついた。

僕は大森さんが好きすぎて「頭の中の小さな大森靖子がこう言っている、こういうことをしている」という妄想をその頃しばしばしていた。一方あおいちゃんも、その小さな大森靖子同様に僕の頭の中だけの存在だ。
その二人を思いきり自由に動かしたら、どうなるだろうか。先が全く見えなかったけれど、その物語の記述を3週間ほどかけて行った。
それを書き終えた時に、この物語のタイトルを大森さんの曲名とかけて「あおい部屋」とした。
頭の中の小さな大森靖子、つまり「ちい子」は物語の中でいきいきと歌い、あおいちゃんは、ちい子をどこまでも慕い、傷つき、愛していた。それはまるで、この3年間に起こっていた脳内の嵐が、一つの物語に集約されたかのようだった。

ブログには投稿フォームをつけていて、何人かがとても熱心に冊子の感想をくれた。涙を堪えてスマートフォンを握りしめるような言葉を贈ってくれるような人も居た。もし、これを読んでいる人で、それに該当する人がいたら、ありがとうございました。そして本当にごめんなさい。

この頃にはもう、うわべを剥ぎ取って自分自身の中身と向き合ってくれる人がいる喜びと、その人を騙して、こういうことが成立しているんだという罪悪感で、結構、気持ちが追い詰められていた。

さて、ブログの連続更新も無事終わって、あおいちゃんはツイッターにしばらく帰ってきていたけれど、以前のように「大森靖子」に関するツイートを毎日回収するのはほとんど不可能なほど、大森さんはブレイクしていたし、上記のような感情もあって、ゆるやかにフェードアウトしていくことに決めていた。

そのフェードアウトが進行している時に、"大森靖子ファンミーティング"というイベントが有志で開かれることになった。そして、主催の絵作家の方が、上述した「あおい部屋」を完全にコミカライズして、出席者に配布してくれた。

コミカライズ。
はじめにその提案を受けた時は、ちょっと信じられないくらいだったし、「嬉しいけど申し訳ない」という気持ちが最大限に膨張するだろうなと思った。
でも、断れなかった。やはり嬉しいが勝った、のだと思う。

当日はあおいちゃんは行けないと言いつつも、「僕」はしれっと出席して、その漫画を受け取った。緊張して会場では開くことは出来なかった。(このファンミーティングはとても楽しい内容だったのだけど、本筋と逸れてしまうので割愛する)

東京の友達の家に泊めてもらって、翌朝にまだ友達が寝ている間に漫画を開いた。

僕の脳内の嵐が詰まった物語が、何十ページもの絵になって、そこに表現されていた。画像をよく観察してくれたのか、驚いたことに、自撮り担当の友達と漫画の中のあおいちゃんはとてもよく似ていた。
ページをめくるたびに、胸が熱くなった。そして、最後の「ちい子が、あおいちゃんが好きな大森靖子の曲「青い部屋」を、完璧なカバーで披露する」シーンで、あおいちゃんが泣き崩れたように、「僕」もページをめくる手を止めて、何度も何度も涙を拭うことになった。はからずもその日は自分の誕生日でもあった。

それからほどなくして、あおいちゃんは予定通り、活動を停止した。フェードアウトに時間をかけたので、以前のようにそれを衝撃的に受け止める人はあまり居なかった。数人は惜しんでくれたけど、ありがとう、ごめんなさい、という気持ちだった。

それに、僕はもう絶対的な女の子の皮を被らなくても、真っ直ぐに大森さんのことを好きでいられるような気がしていた。

***

なにが言いたかったのかというと、というか、これは謝罪文だ。
あおいちゃんというものを知ってくれていた人、面白がってくれた人、心配してくれた人、好きになってくれた人、嫌いになってくれた人、みんなに等しく、ありがとうと、ごめんなさいというのを、ずっと言いたかった。ということ自体さえ、僕の自意識過剰、自意識の肥大で、そういえばそんなアカウントもあったっけ(そんなアカウントいた?誰?)と思う人が大半だろうけど、嘘はいつかどこかで正さなければいけないし、と思ったので、ここに書き記した。

ありがとう。ごめんなさい。
これであおいちゃんとはもう二度と会えないけれど、僕は、ずっと彼女のことは忘れないと思う。たぶん。

日記45

12/13
仕事。

12/14
仕事。
腫れが治ってきて、なんとか公共交通機関で通勤出来るようになった。
装具は一旦以前に使っていたものに戻した。

12/15
仕事。

12/16
仕事。

12/17
土曜だけど仕事。

12/18
静養。

シャワーを浴びて、縷縷夢兎のDVDを見て、ごはんを食べて、少し本を読んで、うとうとして、ごはんを食べて…。

もうすぐ一年が終わる。
病院のベッドで、ずっとテレビを見ていた正月に比べたら、だいぶマシな生活に戻ってきた。
目標は完治。
叶わなくてもそれは変わらず。

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日記44

12/5
仕事。

12/6
朝の出勤中に左足に痛みを感じた。
新しい装具が少しあっていないのかなと思いながら足を進めるも、痛みはどんどん増していく。
職場について靴下を脱いで見てみると、左足が親指辺りを中心に酷く腫れあがっていた。一旦保健室に行ったが、当然病院へ行けということになり、早退して先日通いはじめた病院へ。転院しておいてよかった。
血液検査とレントゲンを経て、ばい菌が入ったのかなという結論(推論?)に至った。家に帰って、昼に食べるはずだった弁当を食べて、休む。

夜に向けて、熱が出たり、下がったりした。昼に寝たから夜中に寝つけないし、薬を飲んでいるけど腫れが引く気配は無いし。併発している内出血で足の親指あたりが赤黒くなっていてエグい。
突然、生活に支障が出るような、なかなか厳しい状態になってしまった。仕事でもプライベートでもやりたいことが色々あるんだけど。回復しやすいような生活を心がける。健康不安がある分、誠実に働かなきゃ。

12/7
車で職場まで送ってもらい、仕事をして、タクシーで帰る。

ばい菌で腫れているとしたら、既に抗生物質を貰って飲んでいるし、内出血には睡眠とビタミンCだとネットに書いてあったので、夕食後にみかんを食べて眠る。

12/8
車、仕事、タクシー、食事、みかん、みかん、睡眠。

ほんの少しずつ足の腫れがマシになっているようだ。
現状、とにかく身体のことしか考えらえれない。布団の中で丸まりながら、大森さんのLINE LIVE配信を見た。

12/9
タクシー、仕事、タクシー、みかん、睡眠。

12/10
静養。
甥と仮面ライダーのベルトで遊んだ。

12/11
静養。
健康じゃないと何もできねえ。

自室で足を休ませながら、携帯電話をsoftbankからmineoに変える手続きをした。それに伴い、iPhone5SからiPhoneSEに機種変更。ショップに行くことなく済んだし、ある程度の作業は必要だったけれど、振り返ってみれば簡単なものだった。

なにより、複雑な制度でよく分からない金を搾取されている感覚から解放されたのが嬉しい。
購入した機種を壊さないように大事にして、パケット容量と通話代に気をつけて使えば、毎月1600円(プラス電話代)で済む。めちゃくちゃ真っ当だ。

使い心地は今後検証していくけど、特に報告予定はありません。へへ。

夜に麦酒を飲みながら自室で1時間半もギターを弾きながら歌っていたので、同居している家族はさぞうるさかっただろう。

12/12
昨日はうるさかったですよね、すみませんね、という気持ちが強かったので、今朝は饒舌に家族と話してしまった。思春期かよ。

仕事。

月曜だし、寒いし、ひどく疲れてしまった。足の調子と帰り道の交通手段の判断も鈍く、何台もタクシーを見過ごしてからようやく一台止めると、煙草臭くてすごく話しかけてくるタイプの運転手で、さらに疲れてしまった。

疲労のピークのせいで、色々なことがフラッシュバックする。後悔などが多い。

忘れないと生きていけない。記憶に殺される前に忘れなきゃ。と思ってこれまで生きてきたけど、それについて話すと「わたしは可哀想なわたしについて誰も知ってくれなかったから、わたしが覚えていないと報われないと思って、ずっと忘れずに生きてきた」と言われた。

だから僕は忘れっぽいし、記憶を改竄するために都合良く巧妙にずらした文章を書く。そしてあの子には執着心に近い物覚えの良さがあって、静かに遠くの方を見ている。

過去にばらばらにされないように、未来にちりぢりにされないように、鉛みたいに重くて動かない両足で、現実に繋ぎ止められている。

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