日記21

8/26
仕事。
ぼくの仕事は、基本的に人に嫌われるかなんとも思われない仕事なんだけど(まあ、公務員みたいなもん)、久しぶりに、システムと知識に則って人助けが出来るかもしれない案件が出てきた。そういうときは、やりがいみたいなものを感じるし、よかったなあって思うよ。普通だけど。

業務後にはリハビリの病院へ。今日、2回目に来て気づいたけど、やはりここの病院はスポーツでの怪我に強いみたいで、ぼくみたいに精神薄弱の結果気が狂って下肢麻痺に陥ったダラけた体型のおっさんはあまり居ないみたいだった。

前の病院は、老人ホームも併設されていて、生活動作を回復させる、あるいは維持することに力を入れている感じだった。治っても治らなくても仕方ないよね老人だもん〜という雰囲気があって、和やかだった。どうせ死ぬし的な。一方、新しい病院は、またクラブチームに復帰すっぞ!100パーのパワー回復すっぞ!みたいな患者が多そうだった。サッカー部のイケメン風の青年が、負傷したらしき足を少し引きずって歩くのは、母性本能をくすぐるようないじらしさがあった。母性本能をくすぐられたダラけた体型のおっさん、いっちょうあがり!

あと、ここの病院であつらえている装具を、多くの人がつけていたんだけど、明らかにぼくのより格好よかった。黒くてピカピカで、ほんとうにスポーツ選手がつけているやつみたいだった。というか、実際そうなんだろう。それに比べて、ぼくの装具は、前の病院に来ている装具屋のへんなおっちゃんが作った、プラッチック製みたいな半透明のやつだ。使い込んだせいもあるけど、白いテープ部分には細かいホコリや糸くずがこびりついている。プラスチックではなく、プラッチックという感じだ。

いまの装具はダサいから、外出するときは必ず長ズボンを履いていたけど、ここの病院の黒い装具なら、ショート丈で見えても全く問題がなさそう、なんならガジェットっぽくて格好いいかもと思った。こんなところにもQOLの要素が潜んでいるだなんて思ってもいなかったー。

前の病院より、筋トレに比重を置いたリハビリをしてから診察を受けた。ここの先生は、優しいけれどせっかちだ。忙しくて替えが効かない人は、自然とせっかちになっていくのかなと思う。それだけ処理能力が高くないと、人気の病院の医者なんかやっていけないんだろう。

せっかちで優しい先生は、ぼくの足の爪が、巻き爪っぽく指に食い込んで血が出るというのを知ると「んーじゃあ切ろう」と言って、バスン!バスン!と爪の両サイドをカットした。
本来なら結構痛いことをされている気がするのだけれど、障害で感覚が鈍く、あまり痛みは感じなかった。閉じた目をうっすら開くと、もう消毒も終わって、包帯が巻かれようとしていた。切られようが撫でられようが、よく分からない指先。
そのあと、足の爪を点検して、いくつかの爪は丁寧に切ってくれた。整形外科医に爪を切ってもらうという贅沢。切った爪をぜんぶ床に散らしたままにしてるのが気になった。きっとあとで掃除するんだろう。


足の指から出血する問題を処置してもらったので、少し気持ちが軽くなって帰宅。テレビをつけたら、ミュージックステーションRADWIMPSが出ていた。

自分の中では「ちょっと懐かしいバンド」に位置してしまっているけれど、今回の映画主題歌の曲はいいんじゃないの。ぜんぜんぜん!っていうところがポップでさ。
http://youtu.be/PDSkFeMVNFs

高校生のとき一時期付き合っていた大学生の彼女(ややこしい)が好きだったRADWIMPS。向こうもこんな風に思い出されたくないだろうけど、思い出せるものは仕方ないから諦めてほしい。過去と他人は変えられないのだから。

「過去と他人は変えられない」という言葉は、カウンセリングの手法についての大学の授業で教わった。文字にしたら当たり前に見える。でも、世の中には過去や他人を変えようとして、苦しんでいる人が思ったより多いらしい。
そんなこと言ったって、無理なものは無理だ。ぼくにも、病気になったきっかけを含め、後悔すべき過去が山ほどあるけれど、後悔して絶望していたら文字通り一歩も前に進めないので、前向きになるという選択肢しかなかった。この半年間。ああ、もうすぐ1年か。
だから、後悔はひとまず置いておいて、諦めることは諦めるし、反省するところは反省するし、やれそうなことはやろうと思う。過去と他人は変えられないけど、未来と自分は変えることができるから。そんな大それた希望を持っているわけじゃない。普通に歩ける、普通の生活がしたい。

カウンセリングの手法の授業ではもうひとつ「ニーバーの祈り」というのも聞いた。

神よ
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。

アルコール・薬物の依存症や、神経症の治療プログラムに用いられる「祈り」だそうだ。どうにもならないことに対して、いつまでも停滞してしまっているとき、思い出そうと思って、ついでに書いた。

なんて、物分りのよいことをつらつら書いたけれど、そんなにうまくいくわけないし、不意に過去と他人に感情を荒い紙やすりで撫でられたような気分になったので、缶ビールをドボッと飲んで寝た。言うだけなら誰にだってできるわな。

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