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‪「大森靖子が「絶対女の子がいいな」って言ったから」っていうだけの理由で3年くらいネカマやってた。900人くらいフォロワーがいた。‬

2013年頃、大森靖子という弾き語りのアーティストにハマった。

熱狂的にハマってしまい、Twitterの自分のアカウントの発言が大森靖子色に染まっていくにつれて、いわゆるリア友に疎ましく思われ始めたので、これはいけないと思い、大森靖子専用のアカウントを作ることにした。別アカウントを作るのは初めてだった。

その頃、大森さんはライブで「絶対彼女」という曲を歌い始めていた。
サビで「絶対女の子がいいな」という歌詞を何度も繰り返す曲なのに、その頃の大森さんのライブに通う人は、アイドルが好きそうな感じの男性が多い印象だった。
僕は、少しでも大森さんの理想の世界に近づいた方がいいよなと思って、気軽な気持ちでそのアカウントを「女の子として」始めることにした。率直に言えばネカマだ。

しかし、これは言い訳だけど、当時僕は自分自身のジェンダーに少し違和感があった。性的指向ヘテロだが、自分自身を100%の男性だとは思えなかった。
自分の中身は3割くらいは女性的だと思う、と友人に話すと、ワタナベくんは4割くらいじゃない?と返される、そんな調子だった。

アカウント名は、自分が一番好きな女性芸能人だった宮崎あおいから拝借した。
以下、仮に「あおいちゃん」と呼ぶ。

***

あおいちゃんという化けの皮を被った事で、僕は自分自身の中にある「大森靖子愛」や、大森靖子にまつわる喜怒哀楽を大いに吐き出し、垂れ流すことができた。
当時は、大森靖子に関するツイートが2016年現在ほど多くなかったので、毎日「大森靖子」「靖子ちゃん」でツイート検索をした。プロフィールに大森靖子と書いている人は無差別にフォローして、鍵アカでも躊躇無くフォローリクエストを送りつけた。また、数日間で3回以上大森靖子について発言している事を目安として、それに該当する人もフォローしていった。
大森さんが好きだから、大森さんのことがたくさん書かれるTLを読むのが楽しかったし、自分も好きなだけ大森さんについて書けるのが嬉しかった。

そのような、ある意味ではネタアカウントだった「あおいちゃん」の運用は、数十人の知り合いでフォローしあっていたリア友アカウントとは、どうやら勝手が違うぞということがだんだん分かってきた。

あおいちゃんは、狂人のように、大森靖子への愛の繰り言を、あるいは妄想を、あくまで丁寧な言葉で、しかし暴走列車のように呟き続ける。一方で、ネカマなので、自分の生活については巧妙に言葉を選ぶ。
そのミステリアスさを面白がられたのか、あるいは大量の大森靖子関連フォローのせいか、フォロワーがうなぎのぼりに増えていき、ほとんど経験が無かったリツイートやファボの通知が(小規模ながら)ばんばん来るようになった。

そして、ライブの際には是非会ってみたいというようなリプライやDMが来るようになった。
勿論、それはあおいちゃんを破壊してしまう事になるので出来ない。
あおいちゃんは「絶対女の子がいいな」と大森さんが言ったからこそ始めた、「大森靖子ファンの究極的に理想の女の子」だからだ。あくまで僕が思う理想とはいえ。

なんだか困ったことになってきたぞと思うようになった頃に、おかしな事に「あおいちゃん」に仲間ができた。

一人は近所に住む知り合いの女の子だ。
その子はいつも綺麗なボブヘアにしていて、前髪を気にして触るのが癖だった。
性格的には"強くぶっ飛んだ傾向"があったけれど、その容姿は僕が思い描くあおいちゃんにとても近かった。
時々、自撮りを使わせてくれないか、うまく加工するのでと言うと、いいですよと言ってくれた。こうして、あおいちゃんの外見が作られた。

また、リア友アカウントから引き続き、あおいちゃんを知ってくれている友人が一人いた。僕と同様に大森靖子ファンだったからだ。彼女は「ワタナベが異常なことを始めた」と内心思いながらそれを見守り、時々アドバイスをくれた。

このようにして、あおいちゃんは「心・技・体」とでも言うべき、奇妙な三位一体体制で補強され、その暴走を続けることになった。

暴走はおよそ3年に及んだ。

その間、大森さんは、直接伝えたことがないのにも関わらず、僕の顔とアカウントを一致させて覚えてくれて、何も言わなくてもサインに「あおいちゃんへ」と書いてくれるようになった。
大森さんと密かな共犯関係になったようで、それが嬉しかった。こんな楽しみ方は間違っているよなと思いつつも。

あおいちゃんは、真摯に大森さんへの愛を、僕が吐きたいだけ吐き出し続けてくれた。
一方、人物の特定を避けるために、行ったライブについて言及しなかったり、行ってないライブに行った風を装ったりというような事もあった。

そこまで「僕」に興味がある人はいないとは思ったけれど、大森さんが破竹の勢いでブレイクしていくにつれて、ファンであるあおいちゃんのフォロワーも増えて、最終的には900人に迫る数字になった。これよりもっと多いフォロワーを持つ人は星の数ほどいるけれど、自分の感触としては十分驚異的だったし、少し疲れてしまった。
それに「絶対少女」リリース以降、大森さんの女性ファンは急増し、今や、おっさんの方が少し肩身の狭い思いをしているくらいだった。
つまり「あおいちゃん」はその役目をゆっくり終えようとしていた。

大森さんが戦略の舵を取っているのか、肌感覚で捉えているのか、あるいは直感なのか、僕には分からないけれど、「全ての女子を肯定する」を標榜する「絶対少女」の発売から、メジャーデビュー、そしてそれ以降まで、大森さんに失望させられたことが本当に一度も無い。
むしろその言い方は失礼で、常に最高を更新し続けてくれている。今でも本当に大森さんの音楽が、歌が、というか全てが好きだ。
大森さんが死ぬまで歌い続けることと、僕が死ぬまでその歌を聴き続けることの根比べだとすら思っている。
もはや勝ち負けではないのだ。
だから、理想を追求するあまり「大森靖子のことが一番好きな女の子」というお題目の、「一番」に妙な拘りが出来つつあったあおいちゃんは、なんらかの形をとって、締め括ろうと考えた。

アドバイス担当の友人と話し、彼女はそれならば記念的に冊子を作ろうと提案をしてくれた。あおいちゃんは時々「ツイロンガー」というツイッターの外部サービスを使って、ライブやアルバムの感想を書いていて、友人はそれを好意的に評価してくれていた。(我々はそれを長文芸と呼んでいた。)

また、それとは関係なく、僕が詩を作って時々ブログに書いているのも知っていた。それも合わせて掲載してはどうかと言ってくれた。
その行為は思春期に精神が不安定だった頃から続けていて、みんな死ねクソバカみたいな内容が多かったので、個人的には「みんな死ねのブログ」と呼んでいた。
その、みんな死ね的内容が報われるのなら、それもいいかもしれないなと思って、他者の目に耐えそうな投稿を選別して載せることになった。

また、これを機に、ずっと回避してきた「大森靖子が好き、以外のあおいちゃんとはどんな人物かを描くといいのではないか」という話になり、これが冊子の中心内容ということになった。
これについては、自分が大森さんに出会うまでの経験を、男女を逆転させて書いた。

独白、詩、長文芸。あまりにも業が深い内容で、まるで言葉の地獄みたいだねと話した。

冊子を作って販売します(販売といっても記念品的なものなので、安価で、)とツイッターで宣言してから、販促行為をしようということになった。
あおいちゃんの運用に対して疲れている部分があったので、本当は冊子が出回ったらもうやめようかと思っていたのだけど、せっかくあおいちゃんの言葉を好んで買ってくれた人に対してそれは申し訳ないなと思い、予約購入してくれた人には特典としてパスワード付きブログを読めるように手配した。
ブログの内容は全然決めていなくて、2月22日から5月5日まで毎日続けると072回になるので、どうせオナニー(072-)ブログだからちょうどいいやという事で、72日連続更新ブログが、冊子のおまけということになった。

また、当時流行っていたask.fmで質問を受け付けて、冊子の内容に触れる質問だと「本を買って読んでね!」と回答する、という方法の販促も試みた。
匿名にも関わらず、ほとんどは好意的な内容の質問を送ってきてくれて、嬉しかったし、申し訳ない気持ちにもなった。

あおいちゃんは誰にも、僕ですら、インターネットでしか会えない概念で、僕の中に居た3割の女の子、あるいはインナーチャイルドだった。それが大森さんとの出会いで表出し、癒され、消えようとしていた。僕にはもう性別違和はほとんど無くなっていた。

良くも悪くもきっかけが転がりこんで来たりして、冊子の販売と、ブログへの「引きこもり作戦」は成功した。
冊子は100冊売れた。
インターネットを介して、あおいちゃんの作品をそれだけ買ってくれる人が居たのが嬉しかったし、同じだけ胸が痛んだ。突然ツイッターの投稿を止めたので多くの人に心配をかけた。申し訳なかった。

その後は、ツイッターの「あおいちゃん」というアカウントに注ぎ込んでいた脳の回路を、今度は数ヶ月、毎日連続でブログの記事に注ぎ込むことになった。
あくまで冊子のオマケなので、他愛もない内容を毎日ほんの少し書くだけだったけど、それでも書きたい内容が枯渇していった。

それで、もう本当に明日書くことも無いぞという時に、大森さんとあおいちゃんの話を書こうと、ふと、思いついた。

僕は大森さんが好きすぎて「頭の中の小さな大森靖子がこう言っている、こういうことをしている」という妄想をその頃しばしばしていた。一方あおいちゃんも、その小さな大森靖子同様に僕の頭の中だけの存在だ。
その二人を思いきり自由に動かしたら、どうなるだろうか。先が全く見えなかったけれど、その物語の記述を3週間ほどかけて行った。
それを書き終えた時に、この物語のタイトルを大森さんの曲名とかけて「あおい部屋」とした。
頭の中の小さな大森靖子、つまり「ちい子」は物語の中でいきいきと歌い、あおいちゃんは、ちい子をどこまでも慕い、傷つき、愛していた。それはまるで、この3年間に起こっていた脳内の嵐が、一つの物語に集約されたかのようだった。

ブログには投稿フォームをつけていて、何人かがとても熱心に冊子の感想をくれた。涙を堪えてスマートフォンを握りしめるような言葉を贈ってくれるような人も居た。もし、これを読んでいる人で、それに該当する人がいたら、ありがとうございました。そして本当にごめんなさい。

この頃にはもう、うわべを剥ぎ取って自分自身の中身と向き合ってくれる人がいる喜びと、その人を騙して、こういうことが成立しているんだという罪悪感で、結構、気持ちが追い詰められていた。

さて、ブログの連続更新も無事終わって、あおいちゃんはツイッターにしばらく帰ってきていたけれど、以前のように「大森靖子」に関するツイートを毎日回収するのはほとんど不可能なほど、大森さんはブレイクしていたし、上記のような感情もあって、ゆるやかにフェードアウトしていくことに決めていた。

そのフェードアウトが進行している時に、"大森靖子ファンミーティング"というイベントが有志で開かれることになった。そして、主催の絵作家の方が、上述した「あおい部屋」を完全にコミカライズして、出席者に配布してくれた。

コミカライズ。
はじめにその提案を受けた時は、ちょっと信じられないくらいだったし、「嬉しいけど申し訳ない」という気持ちが最大限に膨張するだろうなと思った。
でも、断れなかった。やはり嬉しいが勝った、のだと思う。

当日はあおいちゃんは行けないと言いつつも、「僕」はしれっと出席して、その漫画を受け取った。緊張して会場では開くことは出来なかった。(このファンミーティングはとても楽しい内容だったのだけど、本筋と逸れてしまうので割愛する)

東京の友達の家に泊めてもらって、翌朝にまだ友達が寝ている間に漫画を開いた。

僕の脳内の嵐が詰まった物語が、何十ページもの絵になって、そこに表現されていた。画像をよく観察してくれたのか、驚いたことに、自撮り担当の友達と漫画の中のあおいちゃんはとてもよく似ていた。
ページをめくるたびに、胸が熱くなった。そして、最後の「ちい子が、あおいちゃんが好きな大森靖子の曲「青い部屋」を、完璧なカバーで披露する」シーンで、あおいちゃんが泣き崩れたように、「僕」もページをめくる手を止めて、何度も何度も涙を拭うことになった。はからずもその日は自分の誕生日でもあった。

それからほどなくして、あおいちゃんは予定通り、活動を停止した。フェードアウトに時間をかけたので、以前のようにそれを衝撃的に受け止める人はあまり居なかった。数人は惜しんでくれたけど、ありがとう、ごめんなさい、という気持ちだった。

それに、僕はもう絶対的な女の子の皮を被らなくても、真っ直ぐに大森さんのことを好きでいられるような気がしていた。

***

なにが言いたかったのかというと、というか、これは謝罪文だ。
あおいちゃんというものを知ってくれていた人、面白がってくれた人、心配してくれた人、好きになってくれた人、嫌いになってくれた人、みんなに等しく、ありがとうと、ごめんなさいというのを、ずっと言いたかった。ということ自体さえ、僕の自意識過剰、自意識の肥大で、そういえばそんなアカウントもあったっけ(そんなアカウントいた?誰?)と思う人が大半だろうけど、嘘はいつかどこかで正さなければいけないし、と思ったので、ここに書き記した。

ありがとう。ごめんなさい。
これであおいちゃんとはもう二度と会えないけれど、僕は、ずっと彼女のことは忘れないと思う。たぶん。