日記76

5/23の続き
業務後、渡したいものがあったので姉と義兄へ会いに行った。普段あまり乗らないJR新快速、すっげえ速い。
姉宅に着くと、玄関にウィルキンソンジンジャーエールが沢山並んでいた。僕が住んでいる実家には、玄関では無いがウィルキンソンの炭酸水が沢山買い溜めて置いてある。こんなところで姉弟が通じ合っている。義兄は志磨遼平との子を足して2で割ったような見た目をしているが、ハチミツたっぷりかけたホットケーキのように温和な性格だ。隣駅まで車で送ってくれた。
別の友達と食事をしてから帰った。

5/24
仕事に行ってみたが、何も手につかなかった。のろのろと押し進めてみたが、どうにもならず、部署の人たちに半休を申し出て帰った。昼間のバスは朝夕より本数が少なく、待っていても全然来ないので苛々した。バス停で待っている横で、頭頂の薄くなった老婆がせわしなくうろうろとしていた。何度もじっと見られた。
デスクで食べるはずだった弁当を食卓で喉の奥に詰めてから寝た。
変な時間に寝たから夜中は寝つけず、大森さんのラジオを聴いた。

5/25
何の力も湧かない。仕事を休んだ。
一日中寝ていた。
うまく現実に軸足を置けない。

比喩的に言うなら、蓋が開いたままになってしまっている。失ったもの、取り戻すより先に前提が変質してしまって、手遅れになって、永遠に回復しないまま観念化してしまったものが、また膿を吐いてじくじくと音を立てて痛んでいる。

本来目を背けないといけないものだ。忘れないとやっていけない。でもそれでいいんだろうか?
「自分が傷ついたことが恨めしくて忘れられない」と言っていたひとがいた。きっと彼女は被害者だったんだろう。
僕は被害者ではない。加害者だ。ずっと、そちら側の人間だ。
加害者なら、のうのうと生きるために忘れてしまえば、また同じ罪を犯してしまうだろう。それなら、過ちを忘れずに、苦しみ続けるのが正しい姿なのではないだろうか。

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